2012-3-4(日)
歴史の旅 No.2. 沖田総司終焉の地&忠臣蔵の吉良邸跡(本所松坂町公園) トップページへ
●吉良邸跡(本所松坂町公園)
今は、両国3丁目という町名ですが
その昔、元禄時代は本所松坂町!
これが、吉良邸跡です。
中は、公園となっていまして整備されています。
墨田区で発行している無料パンフレットも
置いてあり、よーく見させてもらいました。
中に入ると、吉良上野介坐像が正面にあり
表のなまこ壁と、この坐像が高家筆頭の風格を出しています。
そして、左手奥に「みしるし洗い井戸」があり、
さすがにその井戸は、写真は、失礼にあたるので撮れませんでしたが
札だけ写真に抑えました。
●吉良邸の邸図
吉良邸の邸図があったので、写真に撮りました。
※ クリックすると別ウィンドウで開きます。
ここで考えると、今の公園はどのあたりにあるのでしょうか?
私の想像ですが、首洗い井戸があるので、
井戸があるといえば、洗い場の近く。まぁ台所の近くというのが
一般的な考え方でしょうね!
また、東へ少し進むと。両国小学校があり、そのまん前が表門跡。
表門までは、わずか1分も歩かない。
表門跡は、この写真。↓
ちょうど、この↓会社の左隣に碑がありますが。。
そういう事からすると、邸図の表門から入って
最初の台所の右下にある料理の間の下に「溜」というのが
あるが、そこが井戸ではなかろうか?と推測する。
すると、溜と書院の場所が、今の「本所松坂町公園」
になっているのではないか?と推測するのだが、
これは、私の勝手な推測なので、定かではありません。
また吉良邸の裏門跡は、表門から1分か2分歩いた場所に
確かあったような。。。
あまり広いとは思えませんでした。
元禄時代の討ち入りでは、午前4時に討ち入り、
約1時間ちょっと探したのでしょう。
駆け出せば、鬼ごっこしかできないような距離感で
1時間の捜索とは、ちょっとかかりすぎ???
それだけ戦いがすさまじかったのか?もしれません。
清水一学もいましたしね!
裏門跡は、この碑です。↓
本所松坂町公園を出ると、まん前には和菓子屋さんがありました。
忠臣蔵の吉良まんじゅうですって!
どんな、まんじゅうなんでしょう???
食べてないのでわかりませんが。。
そして鳥居がありました。
鳥居の横には立て札が。。
鏡師 中島伊勢住居跡と書いてありました。
そして、本所松坂町公園の傍には、
相撲部屋がありました。
大島部屋と時津風部屋です。
それから、そのすぐ近くに、勝海舟の生誕の地があるというので
行きました。
両国小学校のすぐ近くの大きな公園です。
ラジオ体操広場の脇に、勝海舟の碑がありました。
3枚まとめて、どうぞ!
この碑の書は、西郷吉之助の書と書かれていて、
西郷吉之助は隆盛の嫡男である西郷寅太郎の三男で
隆盛の孫にあたるそうで、昭和43〜45年に法務大臣を
務めているそうです。
それを教えてくれたのは、今回も同行した親友です。
親友のHPは、こちら→須貝家物語
その公園の様子は、こんな感じの場所でした。
ここで、時間が午後3時。
お楽しみの、ちゃんこ鍋を食べに、両国駅へ戻りました。
両国駅の駅のすぐ傍にある『花の舞』という居酒屋へ行きました。
ここは、両国らしく、店内に土俵があり、相撲甚句が流れています。
ここで、ちゃんこ鍋を食べ、お酒も飲んで
あっという間に、午後7時。
ありゃりゃ、4時間も友人と飲んだくれて
まぁ、いっかぁ。。
記録:2012年(平成24年)3月4日(日) 管理人:ぶんた年齢(47歳)
昼11時に、浅草の立ち食い寿司(マグロ人)に集まり昼食。
新撰組1番隊長(沖田総司)の終焉の地(今戸神社)へ行く。
そのまま浅草をぶらりしながら、浅草から両国へ。
両国3丁目にある忠臣蔵の舞台(吉良邸跡)へ行く。
すぐ近くにある勝海舟の生誕の地へ行く。
両国駅の花の舞(居酒屋)で午後3時から午後7時まで4時間、
ゆっくりと飲む。午後7時に両国で解散。
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