2012-1-15(日)

歴史の旅、初陣!(新撰組ツアー)                     トップページへ



2012年1月15日、友人2人と日野駅で昼12時に待ち合わせ
新撰組ツアーを挙行した。まさに初陣!
私は、老後、歴史の旅をいっぱいしたい。
それの初陣に相応しい日帰りの旅だった。

まずは、日野駅傍にある井上源三郎のお墓だ。
井上源三郎は、新撰組6番組の隊長で、
新撰組の中で、若手の相談役のような存在。
私もその人望ある人柄が大好きで、友人に言って、連れてってもらった。



これは墓碑であり、お墓は、その左方向に行った場所に
あるが、お墓そのものは、失礼に当たるので
あえて、撮影せず。

そして井上源三郎資料館へ向かう途中、旅老人が、
私達に声をかけてきた。
友人がマップを持っていたので、
「どこでそれをもらえるのか?」と尋ねてきたのだ。
しかし、ネットで印刷した旨を話すと、一緒に付いてきた。
話してみると流山から来たという。
私の友人も流山なので、その友人とベチャクチャ喋りはじめた。
それがこの写真!一体、これはどういうこっちゃ!
私は友人が連れてきた心の背後霊!?の仕業か???と思ったが。。。



そして途中で、老人と別れ、井上源三郎資料館を探し当て
やっと到着した。
中では、写真撮影不可ではあったが、
いろいろな物品が展示され、講釈師が、説明をしていた。
ここで、はじめて知ったのが、免許というのは
かなり上級の称号で、一番下は「切り紙」、更に上の方へ上がると「目録」とかあるが、
その程度だと、教わる或いは、できる業が限られ、書かれている内容も少ない事だ。
でも、「目録」をもらうにもかなりの腕が必要で、
「免許」ともなると、それは、大変な事になる訳だ。
それと剣術だけでなく、柔術にも長けていたという事実。
それこそが、新撰組の罪人を取り締まる技に使われた事である。





中での説明を終えて、外へ出るとお茶を出してくれた。
そこで、しばし休憩。





井上源三郎資料館の全景は、こちら。





今度は日野宿本陣へ向かった。
日野宿本陣は、佐藤彦五郎(今で言う新撰組の後援会会長)の佐藤道場の場所。
佐藤家と土方家は、2代に亘り親戚関係にあるという家柄で
佐藤彦五郎は、土方歳三の姉の旦那さん、つまり義理の兄にあたる人。

この日野宿本陣前に、高札場跡があるので、
パチリ!



そして前の日野宿本陣へ


 
土方歳三、井上源三郎、佐藤彦五郎 縁の物品類の紹介
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中で説明を受ける。 時代は倒幕気運が強まり、それに対抗して、 幕府が全国の志士を募集した際に、彦五郎にそれが伝わり、 彦五郎は、近藤勇と共に幕府軍に参加したかったが、名主の仕事があったため、 自分の代わりに土方歳三を送り、井上源三郎らも付き添わせた。 新撰組の中心人物の頭役であり、そして土方歳三の内面も ここで、話を聞く事ができて、素晴らしかった。 佐藤彦五郎は、それでも新撰組とは表裏一体の関係でありながら 明治まで生きた人である。 そこには土方歳三の心遣いが伺えた。 土方といえば、鬼の副長!と冷酷というイメージがあった。 しかし、実際の土方歳三は、筆まめな男で、筆まめと言えば、心細やかな優しい人柄。 よく言われる冷酷な姿は、仮の姿で、本当は家族想い、 親戚想い、部下想いの最高の男である事を知った。 事実、土方は死ぬまで彦五郎の代役という心を忘れずに 「われ、日野・佐藤に対し、なにひとつ恥ずるべきことなきゆえ、どうか安心を。」という 彦五郎の代理を背負って戦った姿は、男の中の男。 男から見て、涙が出る男ではなかっただろうか?!と推測できる。 順路に沿って、更に説明が続く。 奥に行くと、土方歳三がよく昼寝をした場所があり、 そこで説明を受けた。 前に少しだけ窓が開いている。 実はこの窓の先が、沖田総司が隊士に激を飛ばした踊り場なのだ。 沖田総司の激を飛ばした目線でパチリ! この土方が昼寝した部屋の隣は 市村鉄之助が土方から命を受け、彦五郎に 手紙を遣した際に、土方の半身写真を身に偲ばせ この本陣へ赴き、そこで、暮らした部屋なのだ。 土方歳三は、自分の毛髪等々を歳三の使者だとわかるように 写真と共に、市村鉄之助に託して、手紙を届けさせたという事だ。 また、話は変わるが、この時代、 98パーセントの人が喫煙してたという事実。 タバコを一服して、それから話を交わしたという事実。 う〜ん?なかなか面白い。 日野宿本陣の中は、こんな感じで説明を受けた。 次に佐藤彦五郎資料館へ向かった。 小さな建物であるが、中にはいろいろな文書などが 展示。現在は5代目の方(女性)がここを守っておられます。 次に土方歳三資料館へ向かい そこで見たものは、土方歳三の鎖帷子(くさりかたびら)だ。 これの小ささには驚いた。 さぞや、頭が小さく、ハンサムであったろうと思われる。 身長が167cm。でも、頭は、今の人のSサイズだろう。 そしてその資料館の外には、土方歳三が植えたという矢竹。 竹を割ったかの如くの人に相応しいものであった。 そして、この界隈、土方の姓を名乗る家が多い。 その1つがこちら。 そして土方歳三が眠る墓地へ行った。 石田寺(せきでんじ)である。 多くの人が訪れ、墓地には 栗や手袋、お花など多数供えられていた。 ここでも墓地の写真は撮らず 墓碑だけを撮影しました。 私も、それまでは冷酷だと思って 一番好きな新撰組隊士は、井上源三郎だったが、 今日の旅で、土方さんの度量の大きさ 繊細さ、優しさ、心の中で鏡にしておきたい そういう人物となりました。 そのまま「万願寺の駅」より 多摩都市モノレールに乗り、一路上北台駅へ向かい 夕飯を鳥山で食べました。 鳥山は、こちら 記録:2012年(平成24年)1月15日(日)  管理人:ぶんた年齢(47歳) 昼12時に、日野駅集合(実際には、マクドナルドにて11時45分集合)    井上源三郎の墓、日野宿本陣、井上源三郎資料館、佐藤彦五郎資料館を経て    午後2時半に横浜家系ラーメンにて昼食。    タクシーで移動。土方歳三資料館、土方歳三の墓を巡り、多摩都市モノレールにて    上北台(鳥山)にて夕食(午後5時半より午後7時。)    タクシーで上北台へ移動し、モノレールにて立川北で解散。午後7時半頃。